ところざわで先代から続く自園・自製・自販の茶農園

【政貴増田園】増田政敏さん

私はお茶を作り始めて53年です。18歳のときに就農しました。

当園「政貴増田園」の成り立ちは、私の父・政一が純農と養蚕の間にお茶を作っていたことに始まります。
昭和30年に機械を導入しました。私が6歳の時、父が「入学祝」なんて言って(笑)。
それまでは手揉みで、コークス、炭や薪を燃料にしてやっていたのですが、このあたりからガスとか重油を燃料にして製茶機を使ってやるようになりました。


▲昭和30年代、先代の勇姿 旧製茶工場前。まさか44年に所沢市計画で道路になるとは思ってもいなかった。

正直に話すと、私が跡を継いだのも、機械化が進んだから。
さすがに、手作業のみでは「大変だ」と思っていました。

お茶にする葉は自農園のもののみを使う、いわゆる自園・自製・自販です。
自園で賄うために、徐々に農園を広げてきました。店舗のある所沢市北秋津周辺だけでなく、三芳や三富にも、第2茶園を広げ、第2工場を置いています。


▲直売店舗写真

 

武蔵野のお茶の歴史を紐解く

私は以前、生涯学習で講師を務めたことがあり、その時に文献をしらみつぶしに調べて分かったんだけど、この辺りのお茶、「狭山茶(さやまちゃ)」というのは中世から歴史があるのです。


▲平成28年、所沢市生涯学習にて講師を務めた

最澄の弟子のひとりに円仁という人がいるのですが、その人が開祖した無量寿寺(現在の喜多院)にお茶を植えたという「いわれ」があります。これが830年ころ(平安時代)です。

1211年頃には栄西禅師「茶は養生の仙薬・延齢の妙術なり」と薬としての効用を謳われ広まりました。

1350年頃、室町時代には「武蔵河越茶」として国内の名茶葉5場に数えられていました。

そんな歴史がある「埼玉のお茶」、埼玉県には昭和53年のピーク時、茶畑は3380ha(全国5、6番目)ありました。でも、今現在では都市化の波で1000haを切っています。

そんなこともあり、私自身もうちょっと茶作りを頑張りたいと思っているんです。
武蔵野の地での茶作りの歴史を絶やしたくないな、と。

 

当園の茶畑で「都市の緑」を残したい

うちの話をすると、いくつかの“ピンチ”があったなと思っています。

もともとこの辺りは山林みたいなもんで、お茶作りには良かったんです。

第一のピンチは所沢駅東口の区画整備。昭和58年頃です。
周りは一気に宅地になって、アパートやマンションが立ち並ぶようになりました。

当時「ここは農業をする場所ではない、宅地にして収入をあげる場所だ」なんて言う人もいました。
でも、うちは「茶畑を都市の緑として残したい」という思いを強く持っていましたから、宅地への転換を許すわけにはいきませんでした。今でもそういう思いです。

【所沢・狭山茶】政貴増田園茶畑
▲三芳の畑

だけど、時代の流れを全く無視するわけにはいかない、それは私もわかっています。

そこで、昭和46年には三芳町に100aの畑を購入し第二茶園とし自家苗木でやぶきたという品種を2万本定植しました。


▲三芳にある政貴増田園第二工場

当園としては、街の中でやっていくために上富・中富・下富の3か所ある茶畑は生産を高める形をとっています。
そっちは、職業体験に来た中学生がびっくりするような広さですよ。

所沢市内の畑は都市の緑を残して手間暇かけて最高品質の茶づくりのショールームという位置づけ。
農地は酸素を供給する場所としても機能しているし、建物ばかりの街でも、緑があったらいいでしょ。都市と緑の調和、オアシス産業です。
昨日も、都市農業を残したい、なんていう大学の先生が来ましたよ。

増田園茶畑
▲北秋津にある政貴増田園の店舗の道をはさんで向かい側に、日本一のお茶を生み出した茶畑がある。

 

ピンチを乗り越えて「日本一」のお茶に

平成10年にはダイオキシン問題、そして平成23年には東日本大震災というピンチがあった。

だけど、その大震災のあった平成23年には「全国茶品評会」、「関東ブロック茶の共進会」で農林水産大臣賞をダブル受賞しました。

日本一、って。
開催地は九州、その時は「運がよかった」って思っている。
やめるにやめられなくてずっと茶づくりを続けています。

うちの金字塔としては、53年連続入賞。各種品評会で何かしら毎年入賞しています。
でもね、そもそも私、増田政敏は地元開催にはめっぽう弱かった、いつも3等まででした。
どういうわけだか、平成10年くらいから、良くなりました。

50歳になるまでは、お茶の作り方を知らなかったのかもしれないね(笑)
2〜3年やって取れる人もいるけど俺は全然。

ある時、入間市の指導者と話したとき、どうしたら賞が取れるお茶になるか聞いたんです。
そしたら「地形だ」と言われて……これを聞いた時涙が止まらなかったんですよ。
それ以来、土の改良に心血を注いでやってきました。
味わいのあるお茶にするにはどうしたらいいか、都市化に対応するにはどうしたらいいか、そんなことをずっと考えてやっています。

 

これからの茶作り、手摘み茶へのこだわり

手摘み茶と自然仕立てには、今でもこだわって作っています。
機械摘みが主流の世の中で、もう時代遅れだと言われてもしょうがないけど、毎年茶摘みさんに来てもらって手摘み茶を作っています。茶摘み体験として来てくれる人もいます。
これは、味がいいんだけど、手間がかかるし、当然値も張る。
いわゆる「自然仕立て」のお茶です。うちの生産量の中では少量ですが、我が家自慢の一品です。



▲茶摘みさん集合写真(写真は2020年)


▲茶摘みさん俳句集

品評会出品茶は100g3,000円~10,000円。
あるテレビ局の番組でやってきた芸人コンビが「3,000円のお茶!?高いですね!」なんて言ってたけど、「手間暇かかってるんだ。バカ言ってんじゃないよ」と内心思いましたね(笑)
そのあと飲ませてやったら結局「すんげーうめえ」って言ったんです。
美味しさの正体は、“だし”のように濃く、まろやかな味わいです。
おかげでその年は売れ行き上々でした。ありがとう!

 

私には座右の銘があります。
「森は海の恋人」。気仙沼でカキの養殖をやっている先生の言葉です。
カキっていうのは森の恵みがないとおいしくならない。だから、先生は気仙沼の海の上流に木を植えているんだそうです。
そんな自然の循環も頭に入れてお茶作りをやっています。

うちとしては、所沢市北秋津の店舗・工場・茶畑だけでなく、狭山茶発祥の地と言われる三芳町にも茶畑と工場があるんで、そちらからも有機主体のお茶を皆さんにお届けしていきます。


▲北秋津にある店舗にて。数ある賞状が政貴増田園のお茶の質の高さを物語っている。

現在は息子・貴雄と二人三脚で歩んでいます。
息子も就農して、15年。
今では私がこれまでしていた仕事をどんどん任せていますよ。頼りになる存在です。
私が守ってきたこの地での狭山茶を引き継いでくれる者がいるのが何よりの喜びであります。

▲息子・貴雄と、2018年10月。第46回関東ブロック茶の共進会、農林水産大臣賞受賞時。

 

 

製造直売、匠の味をご家庭で味わってほしい

うちはお茶一筋。まっすぐに、お茶だけを見てお茶を作ってきました。
だからこそ、いろいろな賞を取らせてもらえたんだと思っています。
そんなお茶を全国の、そして海を越えて他国の人にも、できれば日常的に味わってもらいたい。

だから、「高級茶を飲んでほしい」と言っているわけではありません。
100g800円とかそういうのを、「おうちお茶」として日々飲んでほしいんです。
急須で淹れれば香りがあって味わいがあります。
ほっと一息つける時間を作る手助けを、お茶でできたらいいですね。

2020年10月取材